MENU

【オリンピック】代表を掴むまでの道のり!挫折を乗り越えた感動秘話!

当ページのリンクには広告が含まれています。

4年に一度のオリンピック!

代表を掴むまでの道のりは決して楽ではなく、茨の道を歩いてきた選手も少なくありません。

「代表になるために」「この日のために」そんな想いで厳しい練習にも耐えてきました。

そんな選手の中にも、感動秘話があります!!

挫折や代表外れなどを経験してきたからこそ、強くなりました。

今回は、泣ける感動秘話~オリンピック代表になるまでの選手の話をご紹介します。

・「レスリング」土性沙羅選手の代表までの道のり
・「柔道女子」マイリンダ・ケルメンディ―選手の屈辱
・「競泳女子」池江璃花子選手の復活までの道のり
・「競泳飛び込み」榎本遼香選手の恩師へ捧げるオリンピック
・「パラリンピック」トライアスロン・谷真海選手の道のり

をこの記事にて紹介します。

さらに、リオオリンピックで、女子5000m予選のとき、転倒し、ケガを負ったアビー・ダゴスティーノ選手と助けたニッキー・ハンブリン選手のその後についても少し触れたいと想います。

目次

レスリング土性沙羅選手の恩師

レスリングの土性沙羅選手をご存知でしょうか。
彼女はもともと才能があったとか特別うまかったわけではないようです。

それは、恩師である吉田沙保里さんの父「栄勝」氏が一番感じていたことではないでしょうか。
彼女は小1から、レスリングを始めました。恩師でもある栄勝さんにみっちり鍛えあげられました。

中学までは、栄勝氏からタックルを中心に基礎を教えてもらい、高校からは、強豪校・至学館高校へと進学。
そこから開花していきました。

ですがお別れは突然やってきます。

リオオリンピックでが開催される2年前(2014年3月11日)
恩師の訃報(くも膜下出血)を聞かされました。

深く傷つきました。
オリンピックで金メダルをとり、恩師にみせたい一心もあったに違いありません。

初出場するオリンピックをみることなく旅立った恩師へ、2016年のリオオリンピックでは、残り30秒でキセキを起こしました。

誰が見ても絶望的状況から、最後の最後まで恩師から教えてもらった不屈の精神で、最高に輝く金メダルを手に入れました。

一番最初に見せたかったのは、恩師の栄勝さんに違いありません。

リオオリンピックから帰国後に、師匠のお墓参りで金メダルの報告とお礼を伝えました。

今でも彼女は、恩師の命日に、自分の想いを伝え続けています。

恩師を大事にするその心が何とも美しく素敵だなと感じました。

今でも沙保里さんと仲良しです!!

そのあともケガで代表になるまで、時間がかかりレスリングを辞めたいと思う時期もあったようですが、最後の代表選にて、何が何でも取ってやる!という気持ちで挑み続け、執念で勝ち取った五輪代表の切符。

亡き恩師へと二度目のオリンピックへいくことを誓っていたのかもしれません。

「柔道女子」マイリンダ・ケルメンディ―選手の屈辱

柔道女子のマイリンダ選手も苦労の連続でした。

自分の生まれ育った国(コソボ)の代表としての出場を認められず、長きに渡って苦労してきた選手です。

その理由は2008年に独立を宣言したものの、すぐに国際柔道連盟への登録ができず、コソボ代表としての出場が叶いませんでした。

IJF(国際柔道連盟)への登録が認められたのは2012年4月のこと。しかしIOC(国際オリンピック委員会)は、コソボ代表でのオリンピック出場は認められないと告げられます。
唯一アルバニアのパスポートを所持していたことからアルバニア代表として、ロンドンオリンピックに出場したが3回戦で敗退。
10月のグランプリアブダビでは、国際大会において初のコソボ代表としての出場が認められ、大会では2連覇を達成しました。

2013年の世界選手権大会に出場したマイリンダ選手は、優勝し、祖国コソボ代表として誇りに想いながら金メダルを持ち帰りました。

2014年10月には、IOCがコソボオリンピック委員会を仮承認したことにより、2016年のリオデジャネイロオリンピックから、コソボ代表として出場することが可能となりました。

2016年のリオオリンピックにて、順調に勝ち進み、決勝では、イタリアのオデッテ・ジュフリーダを破り、オリンピックではコソボ代表選手として初の金メダルを獲得し、歓喜に沸きました。

この勝利に至るまでには、長きに渡り、祖国代表として出場できなかった悔しさや悲しみがあります。

それをバネにして、いつか必ず、コソボ代表として出れることを信じて、前に進み続けました。

その苦労を周りの選手たちも知っていたからこそ、歓喜の涙に包まれました。彼女はコソボの英雄となったのです。

・「競泳女子」池江璃花子選手の復活までの道のり

2019年2月に体調を崩し、その後「白血病」を公表。治療に専念するため入院していました。いつか必ず復帰を・・・心に決めていた池江璃花子選手。

2019年12月には退院。その後、2020年3月17日に退院後、初となるプールでの練習の様子をSNSでUP。

約1年半で復帰した池江選手のオリンピック出場を掴みました。

日本選手権兼東京五輪代表選考会(2021年4月)

100メートルバタフライ 優勝
100メートル自由形   優勝
50メートルバタフライ  優勝
50メートル自由形    優勝

にて、4冠を達成しました!!

白血球と診断され、辛い治療にも耐え、また必ず水泳へ戻るという強い気持ちを胸に、練習に励んできた池江璃花子選手。

挫けそうになっても、しっかり目標と向き合い、そこへ向かうには?と色々ルートを考えていたと思います。

復活後、大会でも優勝しているのは、実力以外にも彼女の諦めない努力が、再び栄光へと導いたのだと感じました。

復帰後に、優勝するまで上がっていった彼女の精神、水泳に向き合う姿勢、その努力。
そこに向かうまでに様々な葛藤があったと思います。

挫折という絶望的な状態から、立ち上がり、希望を持ち続けて、常に前をみて、歩んできたからこその輝き。その道のりは凸凹でつまずきながら、涙を溜めながら必至に向き合ってきたのかと思うと心が苦しくなります。

それでも彼女の歩みは、今後の財産となることでしょう。
白血病から回復され、アスリートとして、復帰するまでの道のりを考えると並大抵の努力では決して出来ることではないし、強い信念やオリンピックへの希望などを持ち合わせて今日まで頑張ってきたのが伝わります。

今後の彼女の活躍で、病と闘う人々が希望の星となるように願うばかりです。

https://twitter.com/rikakoikee/status/1348571932145242114?s=20

・「競泳飛び込み」榎本遼香選手の恩師へ捧げるオリンピック

もともと体操をしていた榎本選手。小5のときに出会った高校教諭の馬場内登志絵(ばばうちとしえ)さんに飛び込みをやらないか?と誘われています。その姿に飛び込みの世界へと進み指導を受けました。

榎本選手にも突然の別れがやってきました。それは誰も予想できない早すぎる別れでした。

2011年9月恩師の訃報を知らされました。当時中学3年生。まだまだこれから伸び盛りの時の悲しいお知らせに彼女は深く傷つきました。

でも周りのサポートのあり、少しずつ前向きに、恩師へと良い報告ができるようにと前を見続け歩み始めました。

そして、東京五輪の代表にもなり、恩師へ報告。きっと天国にいる恩師は、彼女の頑張りを誰よりも近くから見守っていたのかもしれません。

榎本遼香(えのもとはるか)のプロフィール

・1996年9月14日生まれ(24歳)
・165cm
・栃木県出身
・代表➡板飛び込み・シンクロ板飛び込み
・現在のコーチ➡松本行夫さん。(コーチも選手として国体3位の実績がある)
・兄弟は兄がいる。

https://www.instagram.com/p/CH2GbYZpwnW/?utm_source=ig_web_copy_link

・「パラリンピック・トライアスロン」谷真海選手の道のり

39歳のままアスリート!!

パラリンピックに出場が決まったトライアスロンの選手です。

早稲田大学在学中に、2001年、骨肉腫発症により2002年4月に右足膝以下を切断。
(骨肉腫発症の割合的には、10万人に1~2人くらいといわれている)


水泳でリハビリを始め、陸上競技でパラリンピックを目指しました。
大学卒業後は、サントリーへ就職。

走り幅跳び

・2004年 アテネ パラリンピック 9位(3m95cm)
・2008年 北京 パラリンピック  6位(4m28cm)
・2012年 ロンドン パラリンピック 9位(4m70cm)

宮城県気仙沼市出身の彼女は、2011年の大震災では、現地入りして食料やボランティア活動などを積極的に行っています。(自分に出来ることは何か?を考えて動いている)

2013年の時は結婚前なので、佐藤真海として、国際オリンピック委員会でのプレゼンを行いました。
東京五輪へと導いた一人です。その総会での映像制作を担当された電通社員の昭輝さんとこの時出逢ったそうです。その後、交際に発展。

2014年9月7日、谷昭輝さん(電通社員)と結婚を発表。
2015年4月27日、第一子男児を出産。

結婚、出産を機にトライアスロンへと競技を変えます。

2017年9月、パラトライアスロン世界選手権で初出場で初優勝しました。

2021年の東京で開催のパラリンピックでの優勝も十分あり得ます!期待の星となりそうです☆

努力家の方なので、諦めない彼女の姿が病気で苦しんでいる方々の希望の光となってほしいと願っています。

リオ五輪5000mのあの二人は?

2016年、リオオリンピック女子5000m予選で転倒し、ケガをしたアビー選手と接触し、転んだけどアビー選手を助けたニッキー選手。2人共ゴールし、最後抱き合うシーンは多くの感動を生みました。その後決勝進出を認められましたが、アビー選手のケガは【前十字靭帯】と半月板の断裂により、決勝へは出れなくなりました。

その後の2人はオリンピックを目指してきましたが思うように結果が出せず、今回の出場は叶いませんでした。

彼女たちの交流は続いているようです。

お互い結婚もしています。

アビー選手(29歳)

ニッキー選手(33歳)

https://www.instagram.com/p/CCVb0KNnAcr/?utm_medium=copy_link

お2人共お幸せになられて素敵な歩みを見せて貰いましたね☆

まとめ

今回は、オリンピックに出る選手で感動する秘話を載せてみました☆

それぞれが自分らしく、輝いていってほしいと思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

好きなことを伝えていく、Akoブログ♪です!趣味やトレンドを交えて発信していきます。レアな案件も取り扱っていこうと想います☆

コメント

コメントする

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

目次